私は恋愛感情を持たない性的マイノリティ「アロマンティック・アセクシャル」を自認しています。
恋愛感情を持たない人生には、子どもの頃から悩みがつきものです。
参考:【体験談】恋愛感情がない私が過ごした中学・高校生時代【アセクシャル】参考:【体験談】恋愛感情がない私が過ごした20代【アセクシャル】
現在は30歳を超えたこともあって、ある程度は割り切っています
それでも、やっぱり「普通に恋愛をして、普通に結婚する人生を送れたらよかったなぁ」と思うことはあるんですよね。
世の中には「人生の正解」があふれている
恋愛感情を持っていないと、とにかく周りの人たちと話や価値観が合いません。
学生時代の恋バナなんて地獄そのもの。
そして25歳を超えてくると、みんな当たり前のように結婚して、子どもを産んでいきます。
まぁ当たり前だからこそ、結婚・出産は「ライフイベント」と呼ばれているわけですが…
こっちは「恋愛感情とは?」の段階で止まっているのに、みんなはどんどん先に進んでいくんですよね。
なんだか自分だけが取り残されている気持ちになってしまいます
そして、それはテレビを見ていても同じです。
- 一般の家庭におじゃますれば、当然のように配偶者がいて、子どもがいる
- 家族経営のお店や、職人さんの家庭では、子どもが「跡を継ぎたい!」なんて言っていたりする
特に親子三世代で仲良く暮らしている映像を見たりすると、
「多分これが人生の正解なんだよなぁ…」
って、しみじみ思うんですよね。
親に孫の顔を見せてあげられない罪悪感
親は普通に結婚して子どもを持った人間である以上、やっぱり孫を期待する人が多いでしょう。
- 彼氏(彼女)はいないの?
- いつ結婚するの?
- 孫はまだ?
社会人になっても恋人ができないと、親は心配したり、何かしらの圧力をかけてきたりします。
私も20代の頃は「いい人いないの?」とよく母に聞かれていました。
最近は大っぴらには言ってきませんが、話の流れの中で探りを入れられている気はします。
○○ちゃん(同級生)に子どもが生まれたんだって~
なんて話題も、本当にただの世間話なのかわかりません。
こちらが「実は…」と言い出すのを期待している可能性が…!
単純に勘ぐりすぎかもしれませんが、親に孫の顔を見せてあげられないことに罪悪感を感じていると、つい敏感になってしまいますよね。
特に一人っ子だったり、他の兄弟姉妹が何かしらの理由で結婚できない場合は、親への罪悪感がさらに増えることになります。
私は二人姉妹なのですが、妹が重度知的障害者です。
ついでに言うと父親はクズです。
だから母にとって健常の子どもである私が、唯一の希望なんですよね。
「そんな私が”普通”じゃなくてごめんね…」と母に申し訳なく思う気持ちは、おそらく完全に消えることはないでしょう。
それでも恋愛感情も結婚・出産願望もないのだから仕方がない
いつの時代もどこの国でも、子孫繁栄は人々に願われてきたことです。
だから家族単位の話になっても、子どもが生まれ、孫が生まれることが「人生の正解」になるのは必然です。
でもね、その「人生の正解」にたどり着くための願望や欲求自体がないと、どうしようもないんですよね。
何事も実際に経験してみないとわからないとは言いますが、
いや…試しに挑戦するにはリスクが大きすぎません?
結婚や出産は、学生時代の恋バナに適当に合わせるのとはわけが違います。
特に子育ては、望んで子どもを作った人でも苦労しますからね。
願望も欲求も持ち合わせていない人間に、それに耐えられるだけの覚悟があるのか?という話になるわけですが…
私は、親への罪悪感はあれど、結婚や出産の苦労に耐えながら生きる覚悟はありません。
それに苦労した末に家庭を築いて、パッと見は”普通”の輪の中に入っているように見えても、きっと自分の心の中はマイノリティのままなんですよね。
恋愛感情を持たない人生・結婚も出産もしない人生は、正直とても生きづらいです。
でも、がんばって”普通”を目指したところで、周りの人たちと同じ本当の”普通”にはなれません。
「普通に恋愛をして、普通に結婚する人生を送れたらよかったなぁ」と思っても、やっぱり自分にはできないんです。
だからある程度は割り切って、自分が少しでも生きやすくなる道を見つけていきたいと思っています。
私の現在の目標は、経済的自由を達成して、セミリタイアをすることです!!
「どうせ”普通”から外れている人生なら、とことん外れてやろうではないか!」と…これでは割り切りではなく、開き直りですけどね(笑)
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